今日の聖句9月26日(金)\(^o^)/ 多くの者が私のたましいのことを言っています。「彼には神の救いがない」と。セラ しかし主よ。あなたこそ私の周りを囲む盾、私の栄光私の頭を上げる方。 詩篇3:2-3 そのうちの一人は、自分が癒やされたことが分かると、大声で神をほめたたえながら引き返して来た。 ルカ17:15 ************* 今週のテーマ:主人と僕 きょうの聖書:ガラテヤ3:26-29 ガラテヤ人への手紙3章26節〜29節 あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもです。キリストにつくバプテスマを受けたあなたがたはみな、キリストを着たのです。ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男と女もありません。あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって一つだからです。あなたがたがキリストのものであれば、アブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。 「キリストにあって一つ」 ここに、キリストを信じるクリスチャンの身分が明記されています。その身分は律法の奴隷ではなく、神の子であり、約束による神の国の相続人という身分です。アブラハムの子孫であり、アブラハムの祝福を受け継ぐ後継者でもあります。キリストを着るとはキリストと一体にされているという意味です。 私たちはバプテスマつまり洗礼を受けてクリスチャンになっているわけですが、洗礼とは自分がイエス・キリストを自分の心の中に救い主として信じて受け入れたということを外面的に現わす儀式です。それはキリストが死んでよみがえったように自分も過去の罪に死に、新しく神の子とて新生させられた者として生きていくことを表明するということです。 そのようにキリストを信じた人は神の子とされており、アブラハムの子孫に加えられ、神の子として神の国を受け継ぐ相続人とされているのです。これはすべてイエス・キリストの十字架と復活によってなされたことであり、私たちの功績は全く数えられていません。天からの一方的な恵みなのです。 この洗礼によってキリストと一つにされた者たちの集まりが教会です。キリストと一つにされた者同士が教会に集い、集められた者たちがさらに一つにされてゆきます。自分もキリストと一つにされており、目の前にいる教会の兄弟姉妹も同様にキリストと一つにされてキリストと同じ高い価値を持つ存在なのです。福音によって与えられた特権を大いに感謝しながら積極的な信仰生活に進ませて頂きましょう。 祝福を祈ります。