今日の聖句9月22日(月)\(^o^)/ そのみわざは威厳と威光。その義は永遠に立つ。 詩篇111:3 私は律法による自分の義ではなく、キリストを信じることによる義、すなわち、信仰に基づいて神から与えられる義を持つのです。 ピリピ3:9 ************* 今週のテーマ:主人と僕 きょうの聖書:1テモテ6:1-2 テモテへの手紙第一手紙6章1節2節 奴隷としてくびきの下にある人はみな、自分の主人をあらゆる面で尊敬に値する人と思わなければなりません。神の御名と教えが悪く言われないようにするためです。信者である主人を持つ人は、主人が兄弟だからといって軽んじることなく、むしろ、ますますよく仕えなさい。その良い行いから益を受けるのは信者であり、愛されている人なのですから。あなたはこれらのことを教え、また勧めなさい。 「尊敬」 奴隷という身分で自分を使役する主人を尊敬することはとても難しいだろうと思います。何しろ、主人は自分を牛馬のように扱うのですから、辛さ、悲しさ、苦しみを我慢しながら生きなければならないのです。その環境でクリスチャンとして心晴れやかに生きるための秘訣は、主人を尊敬することだということです。 人は誰でも尊敬されれば嬉しいものです。奴隷の主人も奴隷立場の人から尊敬されればその奴隷に好感を抱き、あるいはこの奴隷はクリスチャンらしいがなかなか良いところが在ると認められるかもしれません。ノンクリスチャンである奴隷はこのような発想はできないものです。尊敬とはクリスチャンが持つ美徳の一つなのです。 信者である主人を持つ奴隷は、主人がクリスチャンとしての兄弟だからといって軽んじていけないとも教えています。下僕は主人になれなれしく、いわゆる、ため口で会話してはいけないのです。目下の者は目上に対して敬語を使うことが常識です。尊敬の気持ちは敬語で現れるからです。 尊敬できる人なら尊敬できそうですが、尊敬できない人をどのようにして尊敬できるのでしょうか。その第一は、相手が主人という目上であるからです。相手の地位に対して敬意を払うことです。その第二は、相手が創造者である神様によって造られた「人」であるからです。それは創造者への敬意になります。 祝福を祈ります。