今日の聖句9月12日(金)\(^o^)/ 主があなたの頼みであり、足が罠にかからないように、守ってくださるから。 箴言3:26 イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。 マタイ14:27 ************* 今週のテーマ:親と子 きょうの聖書:へブル11:17-19 へブル人への手紙11章17節18節19節 信仰によって、アブラハムは試みを受けたときにイサクを献げました。約束を受けていた彼が、自分のただひとりの子を献げようとしたのです。神はアブラハムに「イサクにあって、あなたの子孫が起こされる」と言われましたが、彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできると考えました。それで彼は、比喩的に言えば、イサクを死者の中から取り戻したのです。 「アブラハムとイサク」 へブル書11章は信仰の章と呼ばれています。このアブラハムとイサクの物語は神様がアブラハムの信仰を試したものだと解説されます。神様はアブラハムが神様の「イサクを献げよ」という命令に信仰によって応答するかどうかが試されたのです。神様はアブラハムに十分な信仰があることを確認してイサクの代わりに雄羊を生贄として礼拝させました。 へブル書はアブラハムに復活信仰があったからイサクをささげる決心をすることができたのだと説明しています。創世記ではアブラハムの「従う信仰」が認められ、へブル書では神様がイサクをよみがえらせてくださるという復活信仰が高く評価されています。これは神様の力を当てにする信仰とも言えます。 両方に共通することは、これによって御父の御子を犠牲にする贖いの御計画が予表されているということです。私たちの御父と御子と御霊の神に献げる信仰と礼拝はお三方による一貫した私たちに対する愛と誠実を土台にした贖いに感謝することです。イエス様の十字架はとても厳かなことなのです。 私たちに救いが与えられ、私たちが神様と和解できた背景には御父が御子を犠牲にするという大きな働きが在ったことを確と心に覚えることが大事です。イサクをささげる前のアブラハムの苦悩も決して見過ごすことはできません。私たちが幸いな信仰生活ができる裏には大きな苦しみと犠牲があるのです。 祝福を祈ります。