今日の聖句9月6日(土)\(^o^)/ わたしはイスラエルにとって露のようになる。彼はゆりのように花咲き、レバノン杉のように根を張る。 ホセア14:5 ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。 マタイ6:31 ************* 今週のテーマ:愛の掟 きょうの聖書:ローマ13:8-10 ローマ人―の手紙13章8節9節10節 だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことは別です。他の人を愛する者は、律法の要求を満たしているのです。「姦淫してはならない。殺してはならない。盗んではならない。隣人のものを欲してはならない」という戒め、またほかのどんな戒めであっても、それらは、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」ということばに要約されるからです。愛は隣人に対して悪を行いません。それゆえ、愛は律法の要求を満たすものです。 「律法を完成させる愛」 イエス・キリストを信じていれば法律を破っても良いということは断じてありません。不正を行ってもイエス様が赦してくださるから大丈夫だということは無いのです。キリストを信じていてもいなくても罪を犯せば必ず処罰があり、また、罪を犯した相手に償いをしなければ次の生活が始まらないのは当然のことです。 基督聖協団にも牧師が犯した罪、信者が犯した罪に対応する規定が定められています。罪を悔い改め、イエス・キリストを信じて十字架と復活による罪の赦しを受けた人は聖霊によって罪は犯したくないという気持ちを持って生きています。それどころかキリストの愛によって救われたクリスチャンは隣人に愛と真実を尽くして生きい行きたいという気持ちを持つものです。 教会内でのクリスチャン同士の交際のあり方について愛と一致を求めて信仰生活すべきことが教えられています。教会の運営について、あるいは奉仕の仕方について意見の食い違いが現れることがあっても、お互いがキリストの十字架によって赦されて教会生活ができているのだということを忘れないことが肝心です。 律法を行えば救われるということはありませんが、キリストを信じて救われたならば、未信者の時代よりもさらに大きく深く他の人への思いやり、親切、優しさというものが生活に伴わなければなりません。キリストへの愛、隣人への愛は律法よりもさらに大きく聖書と神様の期待に応えさせてくださいます。愛を基調に生きて行きましょう。 祝福を祈ります。