今日の聖句7月3日(木)\(^o^)/ 人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、主が人の歩みを確かにされる。 箴言16:9 ことばであれ行いであれ、何かをするときには、主イエスによって父なる神に感謝し、すべてを主イエスの名において行いなさい。 コロサイ3:17 ************* 今週のテーマ:信徒の交わり きょうの聖書:2コリント8:1-7 コリント人への手紙第二8章1節〜4節 兄弟たち。私たちは、マケドニアの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。彼らの満ちあふれる喜びと極度の貧しさは、苦しみによる激しい試練の中にあってもあふれ出て、惜しみなく施す富となりました。私は証しします。彼らは自ら進んで、力に応じて、また力以上に献げ、聖徒たちを支える奉仕の恵みにあずかりたいと、大変な熱意をもって私たちに懇願しました。 「献げる恵み」 マケドニアの教会とは、ギリシヤ北部のピリピ、テサロニケ等の地域にある教会ですが、彼らは、迫害や貧困の状況の中にあったにもかかわらず、献金に関して、それを「神の恵み」「喜び」として積極的に関わっていることがわかります。喜んで献金できるということは、信仰が十分に成長したしるしなのです。 それは、彼らの力以上のもので、しかも、自発的に、支援的な心でなされたものでした。そこには、神への感謝と仲間に対する愛が相まって、積極的な助力という形になりました。自分のお金を他の人のために支出することを損とは考えず、神様からの祝福ととして受け止めているのです。 献金は祈りであり、信仰であり、伝道であり、愛でもあります。御父と御子と御霊の神への感謝の表明です。イエス・キリストの十字架の死と復活により救いを得た私達は具体的に応答します。マケドニア教会の献金もエルサレムに送られ、エルサレム教会の支えとなり、使徒たちの宣教活動の力になっていました。 献金は人に見せびらかすためではなく、人からの評価を求めるためでもなく、本当に自発的なしかも純粋な奉仕としての「献げもの」をさせていただいているのです。不思議なことですが、献金額が多くなるとその分だけ喜びが大きくなります。ですから私たちは「主よ、献げる恵みに富ませてください」とも祈るのです。 祝福を祈ります。