今日の聖句7月1日(火)\(^o^)/ この身も心も尽き果てるでしょう。しかし神は私の心の岩とこしえに私が受ける割り当ての地。 詩篇73:26 わたしはあなたの行いを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることができない門を、あなたの前に開いておいた。あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。 黙示録3:8 ************* 今週のテーマ:信徒の交わり きょうの聖書:信徒4:32-35 使徒の働き4章32節〜35節 さて、信じた大勢の人々は心と思いを一つにして、だれ一人自分が所有しているものを自分のものと言わず、すべてを共有していた。使徒たちは、主イエスの復活を大きな力をもって証しし、大きな恵みが彼ら全員の上にあった。彼らの中には、一人も乏しい者がいなかった。地所や家を所有している者はみな、それを売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。その金が、必要に応じてそれぞれに分け与えられたのであった。 「祈りと生活で一つ」 「信じた大勢の人々は心と思いを一つにして、だれ一人自分が所有しているものを自分のものと言わず、すべてを共有していた」と証言されています。この恵みと祝福が素晴らしい。この分け合いによって力を受けた人たちは、イエス様の復活を力強く証しすることができました。 このことは前の2章の終わりでも語られていましたが、その実例が36節と37節でバルナバという弟子が自分の財産を売却して、その代金を使徒たちに預けて必要に応じてそれぞれに分け与えられたと実名を挙げて紹介しています。バルナバはアンテオキヤで用いられ、回心したパウロをタルソ迄迎えに行って使徒団に紹介するという働きもしました。 バルナバの行いは全てを共有するという教会での交わりの具体例です。聖書で使われている「交わり」という言葉の語源は「コイノニア」です。これは「共に与る」という意味で、分け前にあずかることです。共有とも訳されています。交わりとは集まっておしゃべりするということではないのです。 豊かな人が貧しい人と生活物資を分け合って共有することが交わりなのです。規則や義務でも制度でもありません。個々人の自発的な申し出に依ることです。これは信仰の一致によってもたらされた働きでした。祈るときに協力しているから生活も進んで協力できるのです。祈りも生活も孤立してはできないことなのです。 祝福を祈ります。