今日の聖句6月30日(月)\(^o^)/ なぜ、苦悩する者に光が、心の痛んだ者にいのちが与えられるのか。彼らは死を待つが、死はやって来ない。隠された宝にまさって死を探し求めても。 ヨブ3:20-21 見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いだと私たちは思います。あなたがたはヨブの忍耐のことを聞き、主によるその結末を知っています。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられます。 ヤコブ5:11 ************** 今週のテーマ:信徒の交わり きょうの聖書:使徒2:43-47 使徒の働き2章44節〜47節 信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。 「家々で」 ここにペンテコステ直後にエルサレムでキリストを信じたユダヤ人たちの生活の様子が記録されています。その生活の中心は信者同士の良い交わりとキリストと信者の間に持たれる良い交わりでした。人と人の間と、人とキリストの間に良い関係が結ばれることが素晴らしい恵みなのです。 このエルサレム教会の人たちはイエス・キリストを信じるという点で心が一つになっていました。エルサレム教会は貧しかったのですが、金銭面でも生活物資の面でもすべての物を共有し、いいものを独占する人はいませんでした。貧しさを共有し、喜びを共有し、恵みと祝福を共有する生活をしていたのです。 毎日、神殿に上って礼拝し、各個人の家に集まって家庭集会の礼拝し、その中で聖餐式を行っていました。この時点では教会堂という建物は存在していません。あるのはユダヤ教のシナゴーグと呼ばれている会堂だけでした。その会堂で礼拝していたクリスチャングループもあったようです。 クリスチャン同士がそれぞれの家庭に集まって礼拝し、恵みを分かち合い、お茶や食事を共にする生活はとても素晴らしいことです。悩み事を打ち明けたり、励まし合ったり、夫々が抱えている問題を祈り合えるのです。このような家庭集会が活発であると教会は勢いがつき、教勢も上がって行きます。 祝福を祈ります。