今日の聖句6月22日(日)\(^o^)/ 主は、昼は、途上の彼らを導くため雲の柱の中に、また夜は、彼らを照らすため火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。 出エジプト13:21 あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。その聖書は、わたしについて証ししているものです。 ヨハネ5:39 ************* 今週のテーマ:世に勝つ信仰 きょうの聖書:ヨハネ16:29-33 ヨハネの福音書16章32節33節 見なさい。その時が来ます。いや、すでに来ています。あなたがたはそれぞれ散らされて自分のところに帰り、わたしを一人残します。しかし、父がわたしとともにおられるので、わたしは一人ではありません。これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」 「勇気を出しなさい」 これは最後の晩餐の席でのイエス様の説教の締めくくりのことばです。この説教は、弟子たちに平安を持たせるために語ったのだと締めくくられました。イエス様の死後、平安をもって再起できるようになるためだということです。17章には説教後のイエス様の祈りの言葉が記録されています。 この直後に逮捕、裁判、むち打ち、嘲弄、ドロローサ、そして処刑へと進んでいきます。それを見て、弟子たちは動揺し、弟子団は分裂するだろうが、弟子団が後の日、復活と、聖霊降臨を経て、信仰をもってこの一連の受難の意味を深く理解し、福音宣教に立ち上がるために語られたのです。 弟子たちの前途には、イエス様の受難と同じ性質の艱難が待ち受けています。サタンの支配する「この世」に対して福音を語っていくことは、この世の側から言えば体内に異物が入り込んで来るようなもので、当然拒絶反応が起こります。それはキリスト教排斥、クリスチャン迫害という形で起こるので、その艱難に対して勇敢に立ち向かいなさいという激励のメッセージです。 「私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」(1ヨハネ5:4-5)この、世に勝つ信仰を持たせるためにイエス様は十字架の意味を懇々と語られたのです。福音を宣教するにはイエス様の十字架は私のためだったという、個人的なキリストへの信仰が不可欠です。 祝福を祈ります。