今日の聖句5月31日(土)\(^o^)/ 幸せなことよ。情け深く人に貸し、自分に関わることを公正に扱う人は。 詩篇112:5 善を行い、立派な行いに富み、惜しみなく施し、喜んで分け与え、来たるべき世において立派な土台となるものを自分自身のために蓄え、まことのいのちを得るように命じなさい。 1テモテ6:18-19 ************* 今週のテーマ:地の果てまで きょうの聖書:ローマ10:14-18 ローマ人への手紙10章14節15節 信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。遣わされることがなければ、どのようにして宣べ伝えるのでしょうか。「なんと美しいことか、良い知らせを伝える人たちの足は」と書いてあるようにです。 「御名を証しすること」 信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。ですから伝道者はキリストのことばを語ります。私たちの信仰の根拠はみことばです。人は聞いたことのない言葉を知る方法がありません。証をするのもみことばが確かであることを証しするのです。 みことばとはイエス・キリストのことです。ヨハネ1:1 に「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」と記されている通りです。聖書の中のどの言葉を選んで伝えるのかということではなく、イエス・キリストを伝え、イエス・キリストを救い不主として証しするのです。 誰でも「主の御名を呼び求める者はみな救われる」のです。主とはイエス・キリストです。子どもでも大人でも「イエス様」と叫んで救われています。イザという時必ず思い出さなければならないのが主の御名です。主の御名を呼び求めて救われなかった人はいません。 みことばによって救われるのですが、私の場合は「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」ヨハネ 3:16です。このみことばを授かったときは25歳でした。あれから53年経ちましたが全く変わりません。私はイエス・キリストとこのみことばを証し続けます。 祝福を祈ります。