今日の聖句5月23日(金)\(^o^)/ 見よ。わたしは彼らを北の国から連れ出し、地の果てから彼らを集める。その中には、目の見えない者も足の萎えた者も、身ごもった女も臨月を迎えた女も、ともにいる。彼らは大集団をなして、ここに帰る。 エレミヤ 31:8 しもべは帰って来て、このことを主人に報告した。すると、家の主人は怒って、そのしもべに言った。『急いで町の大通りや路地に出て行って、貧しい人たち、からだの不自由な人たち、目の見えない人たち、足の不自由な人たちをここに連れて来なさい。』 ルカ 14:21 ************* 今週のテーマ:祈りの準備 きょうの聖書:コロサイ4:2-6 コロサイ人への手紙4章2節3節4節 たゆみなく祈りなさい。感謝をもって祈りつつ、目を覚ましていなさい。同時に、私たちのためにも祈ってください。神がみことばのために門を開いてくださって、私たちがキリストの奥義を語れるように祈ってください。この奥義のために、私は牢につながれています。また、私がこの奥義を、語るべき語り方で明らかに示すことができるように、祈ってください。 「祈りなさい」 コロサイ教会への勧めの言葉です。中心は、真剣に「祈りなさい」「祈ってください」ということです。投獄されているとはいえ、指導者であるパウロが、「私のために、み言葉を語ることができるように、神の御計画を明らかにできるように祈ってください」と訴えている姿勢の中に、緊迫感や彼の謙遜さを感じます。 クリスチャンは説教する牧師のために祈る必要があります。私たち牧師は「祈っている教会」「祈られている教会」に入るとその雰囲気をすぐに感じます。そして語りだすと不思議なくらいに恵みのみことばを語れるのです。 そうでないと、壁に向けて投げたボールが跳ね返ってくるように、何とも語りづらく、みことばが拒否されているという風にさえ感じられる場合さえあります。祈って聖霊様に語って頂けるように備える必要があるのです。 牧師も祈って講壇に立たなければならないことはなおさらのことで、当然です。祈りを依頼する人は祈りの力を知っている人です。祈って目をさまし、祈って力を与えられ、祈って聖霊様に仕えることができるのです。明日に備えて祈りましょう。 祝福を祈ります。