今日の聖句5月16日(金)\(^o^)/ 私は主を待ち望む。ヤコブの家から御顔を隠しておられる方を。私はこの方に望みを置く。 イザヤ8:17 彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法の授与も、礼拝も、約束も彼らのものです。 ローマ9:4 ************* 今週のテーマ:キリストの愛のうちに きょうの聖書:ヨハネ15:1-11 ヨハネの福音書15章6節7節8節 わたしにとどまっていなければ、その人は枝のように投げ捨てられて枯れます。人々がそれを集めて火に投げ込むので、燃えてしまいます。あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになります。 「接ぎ木され」 そもそも、幹から枝が生え出てくるのであって、幹にとどまっていない枝は、既に折られてしまっているか、剪定ばさみで切られてしまっているはずです。それなのに、イエス様は「枝ならば枝の方から幹にくっついてこい」と招いておられるようです。これは接ぎ木です。甘い柿の実は全て接ぎ木によって稔るものです。 私たちはイエス・キリストの十字架の死と復活によって神の子として新生したのですが、言い方によってはイエス・キリストに接ぎ木されたものであると言えるのかも知れません。イエス様は私たちに祈りによっていのちの関係を養うように導いて下さっています。祈りによってイエス様に連なり、祈りによってイエス様にとどまることができるのです。祈りによってイエス様の愛を知ることが出来ます。 もしかすると、自分が無駄な枝で、切り取られてしまうのかと不安になる人もいるかも知れませんが、どんな人でもイエス様に連なった人で無駄な人生を送った人は居ませんし、無駄と思われるような物でも福音宣教のために使われると不思議に人々の救いの為に役立つものです。燃やす以外には何にもならない小枝でも、キャンプファイヤーのたき付けにはなります。 イエス様にとどまっていること、イエス様につながっていること、福音宣教と弟子訓練の為にイエス様に祈っていること、祈りによってイエス様とじっくり交わり、いのちの関係と絆を養っていくならば、私たちはイエス様の弟子として豊かな伝道の実を獲得できるのです。イエス様が祈りに答えて、いつまでも残る伝道の実を収穫させて下さいます。 祝福を祈ります。