今日の聖句5月3日(土)\(^o^)/ 私の心をあなたのさとしに傾かせ不正な利得に傾かないようにしてください。 詩篇119:36 非難する余地がない健全なことばを用いなさい。そうすれば、敵対する者も、私たちについて何も悪いことが言えずに、恥じ入ることになるでしょう。 テトス 2:8 ************* 今週のテーマ:新生の希望 きょうの聖書:1コリント15:50-58 コリント人への手紙第一15章54節〜57節 この朽ちるべきものが朽ちないものを着て、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、このように記されたみことばが実現します。「死は勝利に?み込まれた。」「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。」死のとげは罪であり、罪の力は律法です。しかし、神に感謝します。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。 「いのちの提供」 罪と死との関連性は聖書の中心的な主張です。一人の人の罪によって、全世界に死がもたらされたという考えです。でも、その逆のことを神様は実行してくださいました。一人の人、最後のアダム、キリストの死によって、すべての人がいのちを得ることができるようになったのです。 アダムに結ばれているなら、つまり、キリストとの関係を無視し続けているなら、その人はアダムからもたらされた死の支配の中にいることになるのですが、キリストを信頼し、キリストにに属しているなら、復活のいのちの中に置かれているので、死はもはや支配力を失っているのだというのです。 肉体的にはすべての人が死を経験するのですが、キリストのいのちはそれを超えて私たちを覆っているのです。「いのちの提供」こそ、神の最大の祝福です。肉体のいのちも、霊的ないのちも、どちらも神さまからの祝福なのです。それを間違いなくキリストが届けてくださったとパウロは主張しています。 死を粉砕したキリストのいのちが、私たちに届いているのです。与えられたいのちは永遠のいのちであり、イエス・キリストの恵みと御父の永遠の愛、御霊である聖霊とのむ深い交わりの中に生きられるいのちです。この素晴らしい神様からの降されものを大いに喜び感謝して生きて行きたいと思います。 祝福を祈ります。