今日の聖句4月22日(火)\(^o^)/ 私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。 イザヤ53:6 キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。 1ペテロ2:24 ************* 今週のテーマ:復活の信仰 きょうの聖書:ヨハネ20:1-18 ヨハネの福音書20章16節17節 イエスは彼女に言われた。「マリア。」彼女は振り向いて、ヘブル語で「ラボニ」、すなわち「先生」とイエスに言った。イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないのです。わたしの兄弟たちのところに行って、『わたしは、わたしの父であり、あなたがたの父である方、わたしの神であり、あなたがたの神である方のもとに上る』と伝えなさい。」 「名前を呼んで」 これはヨハネが記録したご復活の朝の墓前での出来事です。ヨハネはイエス様の遺体を包んでいた布を見てイエス様がよみがえったことを察知いたしましたがお姿は見ていません。マグダラのマリヤもイエス様がよみがえったことは知らず、所在不明になった遺体をなんとか取り戻そうと躍起になっている所です。 墓の中に現れた天使にも、マリヤの後ろに立ったイエス様にも遺体がないことを訴えて泣いています。天使からもイエス様からも「なぜ泣いているのですか」と声を掛けられてもマリヤの心は閉ざされていて、相手が天使であることも、よみがえったイエス様であることも全く気づきません。 そして、イエス様はマリヤの後ろから「マリヤ」と呼びかけ、彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)」とイエス様に答えて、劇的な再会となったのです。それでもまだマリヤはイエス様の遺体を自分で引き取ろうとしていますから、イエス様は「わたしにすがりついていてはいけません」とたしなめなければなりませんでした。 今の時代は、よみがえったイエス様は昇天し、聖霊となって既に降ってきておられます。私たち一人一人に私たちの名前を呼んで、私たちに現れて下さり、私たちにみことばを語って下さり、私たちに確信も与えて下さいます。よみがえったイエス様は今も働いて、私たちを立ち上がらせていてくださいます。 祝福を祈ります。