今日の聖句4月16日(水)\(^o^)/ 人その一生は草のよう。人は咲く。野の花のように。風がそこを過ぎるとそれはもはやない。 詩篇103:15-16 この朽ちるべきものが、朽ちないものを必ず着ることになり、この死ぬべきものが、死なないものを必ず着ることになるからです。 1コリント15:53 ************* 今週のテーマ:十字架への道 きょうの聖書:マタイ26:1-16 マタイの福音書26章11節12節13節 貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいます。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではありません。この人はこの香油をわたしのからだに注いで、わたしを埋葬する備えをしてくれたのです。まことに、あなたがたに言います。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられるところでは、この人がしたことも、この人の記念として語られます。 「油注ぎ」 イエス様がベタニヤでツアラト患者シモンの家におられると、ひとりの女がたいへん高価な香油のはいった石膏のつぼを持ってみもとに来て、食卓に着いておられたイエス様の頭に香油を注いだ、という出来事を受けての話です。この油の現在の価格をインターネットで検索してみたら、10t4000円で販売されていました。1gなら40万円になります。 これを見た弟子たちは「売却すれば多くの貧しい人たちに生活支援出来たのにもったいない」と言って大騒ぎになりました。その騒ぎを制したのがこの12節13節のみことばです。これは一死をもって全人類を罪から救おうというイエス様の十字架の唯一の用意だったのです。 ユダヤ教指導者たちは、イエス様を神を冒涜する大罪人として殺そうとしています。しかも、弟子たちはイエス様が十字架の死に直面していることを忘れてしまっている有様です。そんな中でこの女はイエス様の頭から香油を注いでイエス様を文字通りの「油注がれたもの」=「神から遣わされたメシヤ」として礼拝しているのです。 それで、この出来事はイエス様をメシヤとして礼拝したこととして「世界中のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう」と極上のお褒めの言葉になっているのです。神様からも捨てられるという状況の中で、ひとり自分を理解し、十字架の前のひと時、一緒に食事をしてくれる人が居てくれたということはイエス様にとってどれほど大きな励ましになったかと思います。 祝福を祈ります。