今日の聖句4月15日(火)\(^o^)/ 見よ。主のことばを退けたからには、彼らに何の知恵があろうか。 エレミヤ8:9 知恵ある者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の論客はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。 1コリント1:20 ************* 今週のテーマ:十字架への道 きょうの聖書:マタイ23:37-39 マタイの福音書23章37節38節39節 エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者よ。わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集めようとしたことか。それなのに、おまえたちはそれを望まなかった。見よ。おまえたちの家は、荒れ果てたまま見捨てられる。わたしはおまえたちに言う。今から後、『祝福あれ、主の御名によって来られる方に』とおまえたちが言う時が来るまで、決しておまえたちがわたしを見ることはない。 「イエス様の涙の声」 受難週の火曜日である今日はイエス様が数々の譬えで群衆を教えられました。きょうの聖書は神様の裁きの根拠が示されます。「ああ、エルサレム、エルサレム」というイエス様の悲痛な叫びがここにあります。厳しい叱責の言葉の後、堰を切ったようにほとばしり出たイエス様の涙の声です。 「めんどりがひなを翼の下に集める」は母鶏がひよこを翼の下にかくまうという比喩です。襲いかかる危険から保護するために神様が信者を守護されるという恵み深い愛のみ業を表します。そのように、イエス様は何度も選民イスラエルに対し愛情深く「救い」に集めようとされたのでした。 真心からの願いを込めた招きでしたが「おまえたちはそれを望まなかった」という拒絶の対応になってしまいました。キリストの「救いを受けよ」という招きが真剣な願いであったからこそ、拒絶した選民の態度は極悪罪になるのです。そして、あなたがたの家=エルサレム神殿は滅ぼされ、荒れ果てたままに残されることになりました。 招きに応じる「信仰」それは、何かをすることではありません。愛を持って招いてくださる主の招きを素直に受け取る手です。愛されることを感謝する心です。単純に聞き従う耳です。素直に喜ぶ心で福音を聞くとき、私たちは何ものにも妨げられることなく聖霊の宮となり、神の神殿に組み込まれるのです。 祝福を祈ります。