今日の聖句4月14日(月)\(^o^)/ 主は正義と公正を愛される。 詩篇33:5 ご自分を証ししないでおられたのではありません。あなたがたに天からの雨と実りの季節を与え、食物と喜びであなたがたの心を満たすなど、恵みを施しておられたのです。 使徒14:17 ************** 今週のテーマ:十字架への道 きょうの聖書:マタイ21:18-27 マタイの福音書21章23節24節 それからイエスが宮に入って教えておられると、祭司長たちや民の長老たちがイエスのもとに来て言った。「何の権威によって、これらのことをしているのですか。だれがあなたにその権威を授けたのですか。」イエスは彼らに答えられた。「わたしも一言尋ねましょう。それにあなたがたが答えるなら、わたしも、何の権威によってこれらのことをしているのか言いましょう。」 「天からの救い主」 「宮の庭で売り買いしていた人々をみな追い出し、また両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえされ」さらに、議会の承認なしに境内で説教しているイエス様に、「無法なこと」をしているということで「何の権威によって、これらの事をするのですか。だれが、そうする権威を授けたのですか」と厳しい詰問がされました。長老たちとはサンヘドリンという議会の議員です。 それに対してイエス様は、「ヨハネのバプテスマはどこからきたのであったか。天からであったか、人からであったか」と反対尋問で応じました。議員たちは群集の手前、天からとも、人からとも答え事ができませんでした。うっかり答えると群集やイエス様からの激しい反論があることが分かっているからです。 結局、議員たちは「わかりません」と答えました。「分かりません」「忘れました」「知りません」等の返事は国会などで繰り返されている、ずるい人たちの典型的な逃げ口上です。責任を逃れたり、結論を出さずに議論を終わらせる手段として遠い昔から使われてきた言葉です。 みことばに従うことが求められている私たちです。聖書を読み、お祈りを捧げ、神と人を愛し、そして喜んで奉仕するなど、必ず実行すべき事として教えられていることですが、いざ決断を迫られるとやはり、曖昧な言葉で自分をごまかしてしまうことがよくあります。ああ、同じだな。と思わすにいられません。イエス様を天からの救い主と信じて十字架の憐れみに縋るしかありません。 祝福を祈ります。