今日の聖句4月3日(木)\(^o^)/ わたしの民は二つの悪を行った。いのちの水の泉であるわたしを捨て、多くの水溜めを自分たちのために掘ったのだ。水を溜めることのできない、壊れた水溜めを。 エレミヤ2:13 わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。 ヨハネ4:14 ************* 今週のテーマ:悔い改めへの招き きょうの聖書:エゼキエル18:21-32 エゼキエル書18章21節22節23節 悪しき者でも、自分が犯したすべての罪から立ち返り、わたしのすべての掟を守り、公正と義を行うなら、その人は必ず生きる。死ぬことはない。彼が行ったすべての背きは覚えられることがなく、彼が行った正しいことのゆえに、彼は生きる。わたしは悪しき者の死を喜ぶだろうか─神である主のことば─。彼がその生き方から立ち返って生きることを喜ばないだろうか。 「死を喜ばず、生を喜ぶ」 エゼキエルは、悪しき者であっても、罪から立ち帰り、公正と義を行うなら、その人は必ず生きるという神様のみことばを語りました。死なないということは、死亡しないというだけでなく、絶望しないという意味があります。私たちの人生では犯した罪を清算することが何より大事なことなのです。 世間一般では「みそぎ」という言葉が使われます。みそぎとは禊と書き、罪や穢れを落とし、自らを清らかにすることを目的とした水浴行為です。実際に泥や埃で体が汚れているなら、水浴は有効でしょうが、自分が犯した罪は神様に対する罪ですから神様から赦されなければ罪の処理はできません。 罪は人を無力にし、罪は人生を暗くします。罪は人の心から希望を奪い、罪は家庭を破壊します。罪は人の心から勇気を奪い、罪は人を迷わせます。聖書は、これらのことを「死」という言葉で表しています。罪の縛りから解放されるには、神様への信仰に立ちかえる以外に道は無いのです。 新約聖書では「神に対する悔い改め、キリストに対する信仰」によって生きなさいと教えています。神様は私たちが元気な信仰で生きることを願っていてくださいます。イエス・キリストの十字架を仰ぎ見ながら感謝と賛美を持って幸福な信仰生活を進めさせていただきましょう。 祝福を祈ります。