今日の聖句3月30日(日)\(^o^)/ この方こそ私たちの神主。そのさばきは全地にわたる。 詩篇105:7 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。 マタイ5:10 ************* 今週のテーマ:悔い改めへの招き きょうの聖書:詩篇32:1-11 詩篇32篇4節5節6節 昼も夜も御手が私の上に重くのしかかり骨の髄さえ夏の日照りで乾ききったからです。私は自分の罪をあなたに知らせ自分の咎を隠しませんでした。私は言いました。「私の背きを主に告白しよう」と。するとあなたは私の罪のとがめを赦してくださいました。それゆえ敬虔な人はみな祈ります。あなたに向かってあなたがおられるうちに。大水は濁流となっても彼のところに届きません。 「悔い改めと赦し」 この詩篇はダビデがウリヤの妻バテシバとの間で大罪を犯した後に預言者ナタンから罪を指摘され、悔い改めて神様の憐れみを受けて赦された幸いを歌ったものです。これは悔い改めて赦されるという福音的な部分を含んでいる懺悔の詩です。 解決されなければならない問題は、神様の禁制に背く咎、神様の定めに従わない罪、道徳に違反する不義の三つがあります。それなので赦罪の恵みも三様あります。それは先ず、罪責感を取り除かれる赦し、次は裁判において罪を消される義認、そして三つ目は刑罰を免れる赦免です。 この三つの赦罪はそれぞれ偽善の無い真実な悔い改めをした人に与えられる恵みです。罪を神様の御前で告白し、懺悔することは赦罪の恵みを受けるためには必要な条件です。罪を告白しないで心にためれば、身も心も疲れ果ててしまいます。神様の懲らしめの御手は重くのしかかり、苦しみは増し加わります。 神様の赦しは罪びとと神様の和解です。罪を犯したために神様との交わりを失った人が、再び神様と交わることができるようになるという意味で、祈りのの生活の再開ということです。罪を犯すと聖書を読んでもつまらないし、祈っても安らかに成れないのですが、赦されるとみことばの恵みを受けられ、祈りの中で神様の愛に触れられるようになるのです。 祝福を祈ります。