今日の聖句3月16日(日)\(^o^)/ 私は平安のうちに言った。「私は決して揺るがされない」と。主よ。あなたはご恩寵のうちに私を私の山に堅く立たせてくださいました。あなたが御顔を隠されると私はおじ惑いました。 詩篇30:7-8 あなたがたも今は悲しんでいます。しかし、わたしは再びあなたがたに会います。そして、あなたがたの心は喜びに満たされます。その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。 ヨハネ16:22 ************* 今週のテーマ:試練の道 きょうの聖書:1ペテロ2:18-25 ペテロの手紙第一2章22節23節24節 キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。 「キリストの模範」 最近ハラスメントという言葉をよく耳にします。他の人を困らせることであり嫌がらせのことです。職場でのパワーハラスメント、性的なセクシャルハラスメントなど12種類の嫌がらせ行為が問題になっています。今日の聖書では18節で職場での上役によるパワーハラスメントが話題に上げられています。 パウロは下僕が罪を犯して打ち叩かれるなら自分の責任だが、落ち度がないのに打ち叩かれて、それを忍耐するならその忍耐に大きな価値があると言っています。そして、「キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された」解説しています。 キリストの十字架は私たちの罪を赦して救うことが目的でしたが、もう一つは私たちの模範となるためでした。すでに救われている人はキリストの十字架を仰いで、キリストを模範として生きなければなりません。生活の全てにおいてキリストは私たちにお手本を示していてくださるのです。 キリストに倣って生きるには、忍耐と敬虔が必要です。忍耐とはキリストのみこころが成ることを待つことであり、敬虔とはキリストに信頼して生きることです。私たちの心をキリストの十字架に立ち帰らせることによってのみ、それが可能になります。キリストの十字架が私たちの力であり、キリストの十字架から離れたら私たちはただ弱虫でしかありません。 祝福を祈ります。