今日の聖句3月12日(水)\(^o^)/

その日、その時─主のことば─イスラエルの咎を探しても、それはない。ユダの罪も見つからない。わたしが残す者を、わたしが赦すからだ。
エレミヤ50:20

キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。
1ペテロ2:24

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今週のテーマ:雲の柱火の柱
きょうの聖書:民数記9:15-23

民数記9章15節~18節

幕屋が設営された日、雲が、あかしの天幕である幕屋をおおった。それは、夕方には幕屋の上にあって朝まで火のようであった。いつもこのようであって、昼は雲がそれをおおい、夜は火のように見えた。いつでも雲が天幕から上るときには、その後でイスラエルの子らは旅立った。また、雲がとどまるその場所で、イスラエルの子らは宿営した。主の命によりイスラエルの子らは旅立ち、主の命により宿営した。雲が幕屋の上にとどまっている間、彼らは宿営した。

「神様の導きによる進退」

神様はイスラエルを雲の柱火の柱によって進退を導かれました。天幕の上に雲があればその場所にとどまり、雲が上がると移動したのです。これは神様の導きに服従する訓練でした。ローマ 8:14で「神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです」と言われています。

キリストを信じて救われ、神の子とされた人を神様が導いて神の国に至らせるのです。この導きを拒めば私たちは迷うのです。幕屋の上にあった雲と火は神様の臨在の象徴であり、神様の教えと導き、保護と養いを表しています。そしてそれは今の時代の聖霊の御働きです。

私たちは前進するのも退却するのも、出るのも入るのもこの聖霊の導きに従わなければなりません。それは牧師で言えば、メッセージするのもメッセージするのを止めるのも聖霊の指示に従えということです。道路に設置されている信号に全国民が従わなければならないのと同じです。信号無視は処罰されます。

進むべき時に腰を下ろし、止まるべき時に進み出れは不従順であり僭越です。私たちは聖書に明示されている神様のみことばに常に注目まして生きていくのです。イエス様ご自身が「わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください」(マタイ26:39)とお祈りして神様の指示に従っています。御霊の指示に従いましょう。

祝福を祈ります。