今日の聖句3月6日(木)\(^o^)/ 日の昇るところから日の沈むところまで、わたしの名は国々の間で偉大であり、すべての場所で、わたしの名のためにきよいささげ物が献げられ、香がたかれる。 マラキ1:11 あなたがたの言うことばは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』としなさい。それ以上のことは悪い者から出ているのです。 マタイ5:37 ************* 今週のテーマ:荒野の道 きょうの聖書:ホセア2:14-20 ホセア書2章14節15節16節 見よ、わたしは彼女を誘い、荒野に連れて行って優しく彼女に語ろう。わたしはそこを彼女のためにぶどう畑にし、アコルの谷を望みの門とする。その場所で彼女は答える。若いころのように、エジプトの地から上って来たときのように。その日になると─主のことば─あなたはわたしを『私の夫』と呼び、もう『私のバアル』とは呼ばない。 「私の夫」 ホセアは北イスラエル王国で、アッシリヤに滅ぼされる10年ほど前まで活動した預言者です。偶像礼拝にはまってしまったために北イスラエル王国はほとんど御父を礼拝しない国でした。初代のヤロブアム王から第20代のホセア王迄で12代の王が戦死もしくは殺害されて王位を失っています。 偶像礼拝としてバアルを神として崇めていました。偶像礼拝の実態は自己中心な生き方をすることです。普通の人は自己中心に生きるほかには生き方がありません。イエス・キリストによって心と生活から罪を取り除いて頂いた人だけが造り主である御父を礼拝できるのです。それが贖いです。 ホセアという言葉はヨシュアという言葉と同じように「救い主」という意味があります。ホセアの目の前には偶像礼拝する民が居り、戦争と殺人と賄賂と騙し合いが満ちていました。しかし、ホセアには神様からの救いがイスラエルに届き、イスラエルが罪からきよめられて御父を「私の夫」と呼ぶ日が来ることが分かっていました。 キリスト教会には花婿であるイエス・キリストの花嫁としての立場が与えられています。新約聖書ではキリストとクリスチャンの関係を花婿と花嫁になぞらえ、夫と妻の関係に例えて教えています。ですから旧約聖書では偶像を拝むことを姦淫罪として咎めているのです。私たちはキリストによってきよめられたものとしてキリストに愛をもって仕えていくのです。 祝福を祈ります。