今日の聖句2月18日(火)\(^o^)/ あなたは、わたしが主であることを知る。わたしを待ち望む者は恥を見ることがない。 イザヤ49:23 人々があなたがたを、会堂や役人たち、権力者たちのところに連れて行ったとき、何をどう弁明しようか、何を言おうかと心配しなくてよいのです。言うべきことは、そのときに聖霊が教えてくださるからです。 ルカ12:11-12 ************* 今週のテーマ:いのちの道と死の道 きょうの聖書:箴言2:1-22 箴言2章1節〜節5節 わが子よ。もしあなたが私のことばを受け入れ、私の命令をあなたのうちに蓄え、あなたの耳を知恵に傾け、心を英知に向けるなら、もしあなたが悟りに呼びかけ、英知に向かって声をあげ、銀のように、これを探し、隠された宝のように探り出すなら、そのとき、あなたは主を恐れることをわきまえ知り、神を知ることを見出すようになる。 「神を知る」 いのちに満ちた人生を生きるためには神様のみことばを受け入れるべきことが述べられています。それは、みことばに命があり、みことばに人を生かす力があるからです。みことばは人の心に宿って人を生かします。私たちは毎日みことばに生かされているのです。 みことばを蓄えなさいとも言われています。蓄えとは貯蓄することです。みことばを暗唱して、聖書が手元になくても常に心に蓄えられたみことばの力によって生きるようにしなさいという教えです。教会学校の最も大きな働きは記憶力旺盛な子どもたちにみことばを覚えさせ、生涯にわたってみことばによって生きられるようにすることです。 私たちは日常生活で英知を求め、知恵を求め続けています。知恵と英知は艱難辛苦を乗り越える力になるからです。知恵に富んだ人は困難を乗り切る方法を持っているということになります。神様から授けられる知恵と知識が私たちを絶望から解放し、希望に向けて私たちを立ち上がらせてくれるのです。 「神を知ることを見いだす」については、神様を知識的にではなく体験的に知ることであり、救いを味わうということです。神様を知るとは救いを体験するということです。それは十字架体験と言われ、聖霊体験とも言います。神様を知ることができた人は一生涯神様から離れることはありません。神の子とされてしまったからです。 祝福を祈ります。