今日の聖句2月8日(土)\(^o^)/ 主はその奇しいみわざを人の心に刻まれた。主は情け深くあわれみ深い。 詩篇111:4 私たちが神をほめたたえる賛美の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちが裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。 1コリント10:16 ************* 今週のテーマ:回心 きょうの聖書:詩篇6:1-10 詩篇6篇1節〜4節 主よ御怒りで私を責めないでください。あなたの憤りで私を懲らしめないでください。主よ私をあわれんでください。私は衰えています。主よ私を癒やしてください。私の骨は恐れおののいています。私のたましいはひどく恐れおののいています。主よあなたはいつまで──。主よ帰って来て私のたましいを助け出してください。私を救ってください。あなたの恵みのゆえに。 「信仰刷新による赦し」 この詩篇はダビデの激しい苦しみの中での祈りです。それはアブシャロムに謀反を押さされた時です。夜も眠れず、断腸の思いで神様の憐れみを求めています。この苦しみは息子の謀反なのですが、バテシバとの罪が原因であると感じています。自部が犯した罪のために内乱を起こしてしまった苦しみです。 ダビデの心身は草花か炎天下でしぼむように弱り衰えてしまいました。悲惨な現実の中で、ダビデは原因を他の人に着せることはせず、他の人を恨むこともせず、神様の御前に遜って憐れみを求めました。神様の御前に出て泣ける人は幸いです。イエス様も悲しむものは幸いですと語られました。 この短い祈りの最後は神様に聞き届けられ9節10節で「主は私の切なる願いを聞き、主は私の祈りを受け入れられる。私の敵がみな恥を見ひどく恐れおののきます」と所依売りの凱歌が歌われています。神様は自分の罪を認めて赦しと憐れみを与えてくださいます。 クリスチャンにはダビデと同じ苦しみがあります。キリストを信じて赦しときよめを受け、神の子とされたのに又罪を犯してしまったという後悔です。しかし、未信者だったころの神を否定するという罪とは違います。信じている神様に背いてしまったという神様に対する罪だからです。この罪には遜りと信仰の刷新により赦しが与えられます。ダビデも改めて神様に信頼して赦されたのです。 祝福を祈ります。