今日の聖句2月2日(日)\(^o^)/ 主の命によりイスラエルの子らは旅立ち、主の命により宿営した。 民数記9:18 信仰によって、アブラハムは相続財産として受け取るべき地に出て行くようにと召しを受けたときに、それに従い、どこに行くのかを知らずに出て行きました。 ヘブル11:8 ************* 今週のテーマ:回心 きょうの聖書:ガラテヤ2:15-21 ガラテヤ人への手紙2章19節20節 私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。 「私の十字架」 パウロは「私はキリストとともに十字架につけられました」と証しています。ここに私たちのキリストに対する信仰の原点があります。罪は私たちの心にあり、罪は私たちの生活の中に在ります。私たちは罪から逃れることができません。キリストが十字架で死なれた時に、罪びとである自分もともに死んだのだという信仰をもつことです。 パウロは続けて、よみがえった「キリストが私のうちに生きておられるのです」と述べています。更に、「今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです」という確信が語られています。 私は、救いの確信に至れず、きよめの確信を持てなかった時、十字架で死んだのはイエス・キリストお一人だと思っていました。しかし、キリストとともに自分も死んだのだという信仰を持てた時に迷いも疑いも全く消えてしまいました。罪びとである私が罪とともに死んでしまったので罪に脅かされることはなくなってしまったのです。 ここに明記されたパウロの証は、全世界のすべてのクリスチャンの救いと新生、きよめと聖化の証です。キリストが十字架で死なれたという理解から、キリストとともに罪びとである自分も死んだという理解に進むところに回心があるのです。キリストに全く依存して生きる道に入るということです。 祝福を祈ります。