今日の聖句2月1日(土)\(^o^)/ ちりの大地の中に眠っている者のうち、多くの者が目を覚ます。ある者は永遠のいのちに、ある者は恥辱と、永遠の嫌悪に。 ダニエル12:2 キリストが死んでよみがえられたのは、死んだ人にも生きている人にも、主となるためです。 ローマ14:9 ************* 今週のテーマ:分かち合うよろこび きょうの聖書:ヤコブ2:1-8 ヤコブの手紙2章2節3節4節 あなたがたの集会に、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来て、また、みすぼらしい身なりの貧しい人も入って来たとします。あなたがたは、立派な身なりをした人に目を留めて、「あなたはこちらの良い席にお座りください」と言い、貧しい人には、「あなたは立っていなさい。でなければ、そこに、私の足もとに座りなさい」と言うなら、自分たちの間で差別をし、悪い考えでさばく者となったのではありませんか。 「愛と平等」 1節で「人をえこひいきすることがあってはなりません」と言われています。特にキリスト教会ではえこひいきは禁物です。裕福そうな人に良い席を進め、貧しそうな人には冷たくするということが人を差別することなのです。キリストの救いは全世界のすべての人に平等に与えられる恵みであることを忘れてはなりません。 ヤコブは8節で「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさいという最高の律法を守るなら、あなたがたの行いは立派です」と述べています。人間の社会では教会に限らず、愛が大事なのです。イエス様が神様であるのに最も貧しい生活をされたことか私たちの信仰の土台となっています。 パウロは1コリント 1:26-27 に「兄弟たち、自分たちの召しのことを考えてみなさい。人間的に見れば知者は多くはなく、力ある者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。しかし神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました」と書いています。 教会の門は、罪に汚れ、貧しく弱い人のために大きく開かれています。弱者を救うためです。ですから、教会が貧しい人を差別するなら大いに神様のみこころに反することになるのです。私たちは常にイエス・キリストに目を向け、イエス様のお姿を拝して、イエス様に見倣って生きることに努めていなければならないのです。 祝福を祈ります。