今日の聖句1月16日(木)\(^o^)/ その日には、高ぶる者の目も低くされ、高慢な者もかがめられ、主おひとりだけが高められる。 イザヤ2:11 神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。 1コリント1:27 ************* 今週のテーマ:成熟する信仰 きょうの聖書:1コリント14:20-25 コリント人への手紙第一14章22節23節24節 異言は信者のためのしるしではなく、不信者のためのしるしです。けれども、預言は不信者でなく、信者のためのしるしです。ですから、もし教会全体が一か所に集まって、みなが異言を話すとしたら、初心の者とか信者でない者とかが入って来たとき、彼らはあなたがたを、気が狂っていると言わないでしょうか。しかし、もしみなが預言をするなら、信者でない者や初心の者が入って来たとき、その人はみなの者によって罪を示されます。 「異言について」 ここに、異言への警告があります。一般に異言とは普通とは異なる珍しい言葉やその人の態度や事実と異なる言動を指します。キリスト教では聖霊を受けて恍惚状態になった人が語る言葉とされています。また、聖霊によって与えられる言語であり、神様との深い交わりを持つために語られる言葉という定義もあります。 しかし、現実には言葉にならない音の連続であり、聞いている人には全く理解できず、騒音でしかありません。異言は個人的な祈りのためだけに用いるべであって教会の集会では控えるべきです。一方、真正異言と呼ばれる異言もあります。これは普通のことばに翻訳できる異言です。解き明かせる異言とも言われます。 パウロは教会では異言よりも預言の方が良いと教えています。預言とは神様の御声を聞いてそれを人々に伝えることです。神様は常に神に対する悔い改めとキリストに対する信仰を促し続けています。また、聖霊は常に神様への信頼を呼び掛けています。預言を聞いた人は悔い改めに導かれてゆきます。 あるグループのクリスチャンは信仰が成長し、聖霊を受けると異言を語れるようになると言います。異言を語れるということが聖霊を受けている印だという発言は嘘です。聖霊を受けた印はその人がイエス・キリストを信じることができるようになるということです。キリストへの信頼を益々深めて信仰に成熟した者にならせて頂きたいと思います。 祝福を祈ります。