今日の聖句1月10日(金)\(^o^)/ どうか、彼らの心がこのようであって、いつまでも、わたしを恐れ、わたしのすべての命令を守るように。そうして、彼らも、その子孫も、永久にしあわせになるように。 申命記5:29 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。 ヨハネ13:34 ************* 今週のテーマ:祝福の契約 きょうの聖書:へブル9:11-15 へブル人への手紙9章12節13節14節 やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。 「良心のきよめ」 古代のユダヤでは身体的きよめの儀式として動物を生贄として献げていました。イエス・キリストはご自身の身体を犠牲にして人の心のきよめを行ってくださったのです。ヤギや牛を犠牲にして人の体がきよめられるのであれば御子イエス様が私たちの心をきよめられないはずがありません。 汚れた人は神様を礼拝できず、また、神様に仕えて生きるということはできません。イエス様は心の汚れた私たちをきよめて、生ける神に仕える者としてくださいました。私たちはイエス様の十字架によって罪の赦しと、罪の汚れからのきよめという恵みを受けることができたのです。 私は汚れていると思いながら生きることはとてもつらく悲しいことです。イエス様は私たちの心から罪の汚れを一掃してくださる救い主です。その結果、私たちは神様と共に生きられるようにされたのです。ここに救いがあり、ここに贖いがあります。この恵みの第一歩がイエス様を神の御子として信じることです。 私たちは自分の良心に従って生きています。もしその良心が汚れているとしたら私たちの人生は土台から崩れてしまいます。この崩れを聖書は滅びと言います。イエス様は私たちの良心をきよめて、私たちの人生の土台を立て直し、私たちを滅びから救ってくださるのです。これが神様の契約による救いの祝福です。 祝福を祈ります。