今日の聖句1月9日(木)\(^o^)/ あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。 申命記8:2 御霊はイエスを荒野に追いやられた。イエスは四十日間荒野にいて、サタンの誘惑を受けられた。野の獣とともにおられたが、御使いたちがイエスに仕えていた。 マルコ1:12-13 ************* 今週のテーマ:祝福の契約 きょうの聖書:へブル6:9-20 へブル人への手紙6章13節〜16節 神は、アブラハムに約束されるとき、ご自分よりすぐれたものをさして誓うことがありえないため、ご自分をさして誓い、こう言われました。「わたしは必ずあなたを祝福し、あなたを大いにふやす。」こうして、アブラハムは、忍耐の末に、約束のものを得ました。確かに、人間は自分よりすぐれた者をさして誓います。そして、確証のための誓いというものは、人間のすべての反論をやめさせます。 「確実な約束」 確実な約束、それを私たちは契約と言います。神様はアブラハムと契約を結び「わたしは必ずあなたを祝福し、あなたを大いにふやす」宣言されました。契約は誓約とも言います。これは破られない約束であり、破っってはならない約束です。違反には罰が伴います。ですから契約は信頼できるのです。 旧約聖書とは旧契約聖書の略語で、新約聖書は新契約聖書の略語です。旧約聖書は救い主キリストの現れを約束し、新約聖書はキリストの救いを約束しています。どちらも信じる者に救いを与える書物です。聖書は書かれている内容のすべてを信頼できます。 キリストの救いは十字架の死と復活によって完成されました。神様は神様が立てた契約が確実であることを保証するために御子キリストの十字架を立てたのです。十字架は誰の目にも見える否定されることのない神様の真実な契約のシンボルです。救うという契約があり、守るという契約、立ち帰らせるという契約、いやすという契約もあります。 信仰は契約に沿って前進するものです。キリストを信じて洗礼を受けたら、次は救われていることを信じ、次はきよめられていることを信じ、次はいやされることをを信じ、次はキリストの再臨を信じ、キリストへの奉仕者として召されていることを信じ、受けるよりも与えることの方が幸いであることを信じる信仰へと進みます。これらはすべて契約によって進められてゆきます。 祝福を祈ります。