今日の聖句1月3日(金)\(^o^)/ まことの神主よ。あなたは私を贖い出してくださいます。 詩篇31:5 ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。 ヘブル 4:16 ************* 今週のテーマ:始めと終わり きょうの聖書:イザヤ51:11-16 イザヤ書51章11節12節 主に贖われた者たちは帰って来る。彼らは喜び歌いながらシオンに入り、その頭には、とこしえの喜びを戴く。楽しみと喜びがついて来て、悲しみと嘆きは逃げ去る。「わたし、わたしこそ、あなたがたを慰める者。あなたは何者なのか。死ななければならない人間や、草にも等しい人の子を恐れるとは。」 「贖いと礼拝」 神様はイザヤを通してバビロンにいる捕囚民をエルサレムへ帰還させると約束しています。シオンはエルサレムのことですが、もう一つの意味は神様への礼拝です。神様が捕囚の憂き目に苦しんだイスラエルをエルサレムに帰還させることによって慰めるのです。 「死ななければならない人間や、草にも等しい人の子を恐れるとは」とは、イスラエルを苦しめたバビロンは何れ滅亡することになるので恐れることは無いと言っているのです。人や敵を恐れるのは天地の造り主であり、永遠の救い主である神様を忘れるからです。 主の贖いはバビロンに捕囚されたユダヤ人に向けて成し遂げられ、キリストの十字架によって、罪に囚われているすべての人に向けて成し遂げられました。贖われた人たちはすべて礼拝に帰って来ます。礼拝こそ私たちが帰るべき信仰の原点なのです。その礼拝の中心にはキリストの十字架が輝いています。 礼拝は「その頭には、とこしえの喜びを戴く。楽しみと喜びがついて来て、悲しみと嘆きは逃げ去る」という場所です。贖いは御父が御子のいのちと引き替えに私たちに授けてくださった愛そのものです。礼拝は愛の神さのへの感謝と賛美をささげる場であり、そこで私たち再び恵に包まれるのです。 祝福を祈ります。