今日の聖句1月2日(木)\(^o^)/ 人を恐れると罠にかかる。しかし、主に信頼する者は高い所にかくまわれる。 箴言29:25 小さな群れよ、恐れることはありません。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国を与えてくださるのです。 ルカ 12:32 ************* 今週のテーマ:始めと終わり きょうの聖書:イザヤ49:7-13 イザヤ書49章8節9節 主はこう言われる。「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、わたしはあなたを助ける。わたしはあなたを見守り、あなたを民の契約とし、国を復興して、荒れ果てたゆずりの地を受け継がせる。わたしは捕らわれ人には『出よ』と言い、闇の中にいる者には『姿を現せ』と言う。彼らは道すがら羊を飼い、裸の丘のいたるところが彼らの牧場となる。」 「救い主」 イザヤ書49章には主のしもべとしての救い主が明瞭に描かれています。日本語の救い主はヘブル語ではメシヤであり、ギリシヤ語ではキリストです。この場面ではバビロンで捕囚されているユダヤ人を解放するということですが、実質的には全世界の罪の奴隷とされている人々を解放して救う救い主を預言しています。 旧約聖書の預言はすべて救い主の登場について語っています。それらの預言はイエス・キリストの誕生と十字架によって見事に成就しました。「救いの日に、わたしはあなたを助ける」という言葉もそのまま成し遂げられました。神様が私たちを苦境に落とすのも救いを体験させるためなのです。 エルサレムが滅び、選民が捕えられたのも、神様が人を滅亡から救い、隷属状態から解放するお方であることを知らせるためでした。それだけでなく、かつては捕囚だった民が救い主を輩出する尊い存在となり、殺された救い主によって世界が救われ、殺された救い主に神の名誉が回復されることも語られています。 人が受難するとき、神様への信頼が失せてしまう場合があります。しかしそれは、神様の人への愛が無くなったのでも、神様が無力になったということでもありません。神様は救いの計画を立て、救いの計画を約束し、約束通りに救いを実施しているのです。私たちも目の前の苦境で絶望することなく、時が来れば苦境から脱出できることを信じて生きて行くことが肝心です。 祝福を祈ります。