今日の聖句12月30日(月)\(^o^)/ われらの主は偉大であり力強くその英知は測り知れない。 詩篇147:5 幼子は成長し、知恵に満ちてたくましくなり、神の恵みがその上にあった。 ルカ2:40 ************* 今週のテーマ:始めと終わり きょうの聖書:イザヤ48:12-16 イザヤ書48章12節13節14節 わたしに聞け、ヤコブよ。わたしが呼び出したイスラエルよ。わたしがそれだ。わたしが初めであり、また、終わりである。まことに、わたしの手が地の基を定め、わたしの右の手が天を延べ広げた。わたしが呼びかけると、それらはこぞって立ち上がる。みな集まって聞け。彼らのうち、だれがこれらのことを告げたのか。主に愛される者が、主の喜ばれることをバビロンに行う。主の御腕はカルデア人に向かう。 「神への服従」 ここには、「わたしに聞け」と呼び掛けて、力ある神の命令に服従すべきことが書かれています。「主に愛される者が、主の喜ばれることをバビロンに行う。主の御腕はカルデア人に向かう」というみことばが服従を求めている言葉なのです。間もなくイスラエルはバビロンに滅ぼされるが、バビロンに捕囚されてもその地で神様を礼拝しながら生きて行きなさいということです。 理由は、神様がバビロンに手をまわしてバビロンで良い信仰生活をできるようにし、時が来ればバビロンからエルサレムへ連れ戻すという約束です。カルデヤとはバビロンのことです。私たちは何時でも何処にあっても神様を礼拝し続けることが肝心です。神様を礼拝することが神様への最大の奉仕であり、従いなのです。 神様はイザヤを通してイスラエルに「わたしがそれだ」と宣言しています。これは「わたしはある」と同じです。「わたしはある」は神様の御名です。このことを語っているお方が燃える柴の中からモーセに語り掛けた神様であり、アブラハムとその子孫を選んで神の民とした神様だということが明示されています。 バビロニヤのネブカデネザルに攻められたとき、神様に従っておとなしくバビロンに連行された人たちは命を長らえて、神様の御手で起こされたクロス王によってエルサレムへ帰還できました。しかし、従わなかった人たちはネブカデネザルによって滅ぼされてしまったのです。良いことがあっても有頂天にならす、悪いことがあっても落胆せずに地道に神様を見上げて生きることが勝利につながるのです。 祝福を祈ります。