今日の聖句12月23日(月)\(^o^)/ 私はあなたにただあなたの前に罪ある者です。私はあなたの目に悪であることを行いました。 詩篇51:4 もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。 1ヨハネ1:9 ************* 今週のテーマ:喜びのおとずれ きょうの聖書:マタイ1:18-25 マタイの福音書1章21節22節23節 「マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。 「その名はイエス」 母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。と18節に記されています。マリヤは予てより、御使いを通して告げられていましたが、ヨセフは初耳でどんなに驚いたでしょう。 ヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めました。これは19節です。表沙汰にして、マリヤが姦通罪などで告発されることの無いようにとの愛の配慮であると思いますが、内心ではとんでも無いことになってしまったと思っていたでしょう。 そんな時、主の使いが夢に現われて言った。「その胎に宿っているものは聖霊によるのです」と告げます。ヨセフはこの言葉で信仰がよみがえります。私たちも、「とんでも無いことになってしまった」と思うようなとき、この出来事は神様の御手によることだと受け止める信仰を持ちたいと思います。 目に見えない神様の存在が、今ここに歴史の事実になったのです。神様は肉体をとって人々の間に住まわれ、私たちに救いを与えてくださるのです。マタイの福音書はこうして「インマヌエル」で始まり、その最後は28章20節ですが「わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」と締めくくられています。勇気がわいてきます。 祝福を祈ります。