今日の聖句12月16日(月)\(^o^)/ 私の避け所の岩となってください。いつでもそこに入れるように。あなたは私の救いを定められました。 詩篇71:3 「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください。」 マタイ26:31 ************* 今週のテーマ:栄光の主の審判 きょうの聖書:1コリント4:1-5 コリント人への手紙第一4章4節5節 私には、やましいことは少しもありませんが、だからといって、それで義と認められているわけではありません。私をさばく方は主です。ですから、主が来られるまでは、何についても先走ってさばいてはいけません。主は、闇に隠れたことも明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのときに、神からそれぞれの人に称賛が与えられるのです。 「裁く方は主」 コリント教会の信者たちはしばしばパウロに関して陰口を利いていたようです。パウロへの批判と悪口がコリント教会の中に在ったのです。その行為に対してパウロが指導していることばがきょうの聖書です。指導者を批判する人は何時でもいるのですが、はたから見ると好感は持てません。 パウロは人からの評価をあまり気にせずに生きているようです。自分の生き方に後ろめたさを感じることなく、自信を持って生きています。しかし、だからといって、それがそのまま神様に受け入れられているとはパウロは断定していません。やがて主が来られるとき、最終的な評価がくだされるからです。 主が来られるまでは、「先走ったさばきをしてはいけません」という言葉をしっかり心に留めたいものだと思います。私たちは第一印象とか、自分の知っているわずかな情報だけで、極端な評価を下してしまいやすいのです。他人の悪口を言うということが先走った裁きだということです。 「みんながやっている」とか「みんなが知ってる」というときの「みんな」とは何人なのでしょう。そして「みんな」とはだれのことでしょう。大抵の場合、自分とごく少数の同調者だけということが多いのです。自分のさばきを「みんな」のさばきにしているのです。裁いてはいけないという教えは聖書のテーマの一つです。 祝福を祈ります。