今日の聖句11月6日(水)\(^o^)/ なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは。彼らはいつもあなたをほめたたえています。 詩篇84:4 私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。 ローマ8:26 ************* 今週のテーマ:弱い者への招き きょうの聖書:1コリント1:26-31 コリント人への手紙第一1章26節27節 兄弟たち、自分たちの召しのことを考えてみなさい。人間的に見れば知者は多くはなく、力ある者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。しかし神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました。 「愚かなもの」 神の知恵としてパウロはおもしろい説明をしています。人が神の前で誇ることがないようにと、あえて世の無学な者を選び、無に等しいもの、身分の低いものや見下げられているものを選んで神の家族の一員にしてくれたのだというのです。そのくらい徹底的に「神の前に誇る愚かさ」をパウロは述べているのです。 神を知っていると誇り、自分の家系や自分の能力によって神を屈服させたような考え方を「間違い」と断じているのです。つまり、そういう風に言いふらして教会の中で威張っている人たちがいたということでしょう。自慢とは一つの罪です。誇りも同様に罪に数えられます。 いつの時代にもある問題なのかもしれませんが、家系を誇り、知恵を誇り、金持ちが威張り、いろいろなことに口を出すようなことがこの当時もあったのです。「無名の人たちの集まり」が神の恵みと助けによって「生きた集団」となっていくという過程の中に神のみわざを見るのだとパウロは語っているようにも聞こえます。 誇れるものが何もない、自慢できることが何もない、ただ愚かでしか何もない私が選ばれて、神の子とされ、神の国の相続人という身分にされていることをただ感謝するばかりです。そのことを忘れずに御名を崇め、ひたすらキリストに従順に生きる道を歩ませて頂きたいと思います。 祝福を祈ります。