今日の聖句11月3日(日)\(^o^)/ 富が増えてもそれに心を留めるな。 詩篇62:10 善を行い、立派な行いに富み、惜しみなく施し、喜んで分け与えなさい。 1テモテ6:18 ************* 今週のテーマ:弱い者への招き きょうの聖書:ルカ14:12-14 「昼食や晩餐をふるまうのなら、友人、兄弟、親族、近所の金持ちなどを呼んではいけません。彼らがあなたを招いて、お返しをすることがないようにするためです。食事のふるまいをするときには、貧しい人たち、からだの不自由な人たち、足の不自由な人たち、目の見えない人たちを招きなさい。その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。あなたは、義人の復活のときに、お返しを受けるのです。」  「見返りを期待しない愛」 善行は常に心掛けておくべき事柄です。その場合、見返りや報いを期待する心があってはなりません。私たちは天に帰ったときにイエス様からお褒めの言葉を頂くだけで十分なのです。イエス様の基本方針は愛です。イエス様の愛には一分の下心もありません。ただイエス様は与えてくださるだけなのです。 弱者保護は現代日本においては当然のこととされています。日本の法律は弱者保護を基本にして作られています。それは強者が弱者に被害を与えさせないためです。人間とは自己中心なものです。自分の利益につながらないことはしたくありません。しかしイエス様は違いました。 ご自分のいのちを投げ出して世界を救ってくださったのです。人からの報いを考えずに、神様のみこころに従ったイエス様でした。確かに「父よ。我が霊を御手にゆだねます」と言って死んだイエス様の十字架は神様の愛の現れだったのです。私たちはイエス様の十字架から目を離したら信仰生活は成立しないのです。 イエス様の生き方が人から褒められることよりも神様から褒められることを軸にしていたことを覚えて、私たちも他の人から褒められなくても神様のみこころに従いたいという意思を明確にして生きて行きたいと教えられます。褒められることは罪ではありませんが、人からほめられることを期待して生きることが信仰と矛盾するのです。 祝福を祈ります。