今日の聖句11月2日(土)\(^o^)/ 主は一人ひとりに、その人の正しさと真実に応じて報いてくださいます。 1サムエル26:23 主は、闇に隠れたことも明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。 1コリント4:5 ************* 今週のテーマ:信仰の先達 きょうの聖書:ルカ1:46-56 ルカの福音書1章46節〜50節 私のたましいは主をあがめ、私の霊は私の救い主である神をたたえます。この卑しいはしために目を留めてくださったからです。ご覧ください。今から後、どの時代の人々も私を幸いな者と呼ぶでしょう。力ある方が、私に大きなことをしてくださったからです。その御名は聖なるもの、主のあわれみは、代々にわたって主を恐れる者に及びます。 「マリアの賛歌」 きょうの聖書ルカ1:46-55は古来より「マリアの賛歌」と呼ばれています。この詩はサムエルの母ハンナが神様に献げた賛歌と酷似しています。サムエルはその時代の救済者として生まれました。ハンナの歌は将来起ころうとしている偉大な救い主について預言している歌でもありました。 マリアがにわかにこの賛歌を唱えることができたのは、聖霊に導かれたことであることは明らかですが、日ごろから聖書に親しんでいたからであり、イスラエルの救いを求め続けていたからであると思わされます。研究者の説によるとマリアの実家は極端に貧しかったようです。 その貧しさの中でマリアはひたすら神様の救いを求め続けていました。イザヤやミカなどによって預言されていた救い主のお生まれを待つ信仰です。その救い主を自分が生むという大役を神様から与えられたマリアの心境がこの賛歌に込められています。救い主の到来は信じて待つべき大事なことです。 「主のあわれみは、代々にわたって主を恐れる者に及びます」という言葉にマリアの信仰が現れています。「主を恐れる」の反対は「主を侮る」です。主を侮る人は山ほどいますが、主を恐れる人は極わずかです。真剣に救い主を待ち望んだマリアにイエス様が来られたように、私たちも真剣にイエス様の再臨を待ち望むことが必要です。クリスマスを前に、改めて再臨を待つ祈りに力を尽くしたいと思います。 祝福を祈ります。