今日の聖句10月23日(水)\(^o^)/ 年老いたときも私を見放さないでください。私の力が衰え果てても見捨てないでください。 詩篇71:9 あなたは若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました。しかし年をとると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます。 ヨハネ21:18 ************* 今週のテーマ:刈り入れの時 きょうの聖書:イザヤ62:6-12 イザヤ書62章6節7節 エルサレムよ、わたしはあなたの城壁の上に見張り番を置いた。終日終夜、彼らは、一時も黙っていてはならない。思い起こしていただこうと主に求める者たちよ、休んではならない。主を休ませてはならない。主がエルサレムを堅く立て、この地の誉れとするまで。」 「主に求めるもの」 イザヤはエルサレムがバビロニヤに滅ぼされる100年ほど前にエルサレムで活動した預言者です。神様はエルサレムが滅ぼされる100年も前からイザヤを通して神様がエルサレムを再建する約束を示していました。この約束を神様に思い出してもらえるように祈れというのが今日のみことばの内容です。 バビロンからのエルサムへの帰還が解放であり、エルサレムの再建が救いです。その救いは必ず実現するのでしっかり祈れと訴えています。城壁の上に置かれた見張りとは預言者のことです。バビロンの攻撃を見張り、また逆にバビロンからの解放を見張る見張り役です。兆しが現れたら全国民に見たことを告げるのです。 聖書には贖いという大きなテーマがあります。神の選民イスラエルは神様の所有であり、神様の愛のみ手の中で養われたのですが、神様から離れ偶像のとりこになり、果ては、外国に連れ去られて捕虜にされてしまったのです。しかし、神様は全能の力を発揮してイスラエルをバビロンから連れ戻してくださいました。 ここに神様の贖いの実例があるわけです。私たちももともと神様によって造られた神様の所有だったはずですが、いつの間にか罪の奴隷とされてしまいました。神様はイエス・キリストの十字架と復活という特別手段で私たちを罪から解放し、神の子として、神の国を相続する者にしてくださいました。私たちも贖われたのです。イザヤは神様の贖いが全世界で実現するまで祈れと命じているのです。 祝福を祈ります。