今日の聖句10月4日(金)\(^o^)/ 私の目はあなたのみことばを慕って絶え入るばかりです。私は言います。「いつあなたは私を慰めてくださるのですか」と。 詩篇119:82 あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。 ヘブル4:16 ************* 今週のテーマ:教会の一致 きょうの聖書:1コリント1:10-17 コリント人への手紙第一1章10節11節12節 兄弟たち、私たちの主イエス・キリストの名によって、あなたがたにお願いします。どうか皆が語ることを一つにして、仲間割れせず、同じ心、同じ考えで一致してください。私の兄弟たち。実は、あなたがたの間に争いがあると、クロエの家の者から知らされました。あなたがたはそれぞれ、「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケファに」「私はキリストに」と言っているとのことです。 「四分派」 コリントの教会の中には4つの派があって、それぞれ相手を見下していたようです。パウロ派、アポロ派、ケファ(ペテロ)派、そしてキリスト派の4派です。キリスト派とは、いわゆる使徒的な教えを排除し、キリストとの直接的、神秘的な関わりを強調するグループだったようです。 教会の中で指導者に対する相性というのは人間ですからある程度やむをえないことかもしれません。ただ、それが、その指導者とその指導者を尊敬している人たちへの非難や排斥にならないようにとパウロは訴えているのです。勝手なことを言わず、仲たがいせず、心をひとつにするようにと呼びかけています。 そのために、十字架と洗礼のなかに見られる「キリストの愛」と「キリストへの愛」をもって互いに親しむようにと訴えているのです。パウロが十字架についたわけではないし、パウロに属するために洗礼を受けたわけではないのだから「この指導者、いのち」という関わりを持ってはならないのだとパウロは「パウロ派」と称していた人たちを例にあげて戒めています。 パウロを通して語られたイエス・キリストに結びつき、ペトロが教えたイエス・キリストに結びつくのです。とはいえ、その教えをもたらした指導者への尊敬は良いことなのですが、その指導者の権威とイエス・キリストの権威を同等のものにしてはならないのです。指導者に対し「兄弟としての尊敬」があれば、それで十分です。 祝福を祈ります。