今日の聖句9月26日(木)\(^o^)/ わが神よ私はあなたのみこころを行うことを喜びとします。あなたのみおしえは私の心のうちにあります。 詩篇40:8 イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』 マタイ22:37 ************* 今週のテーマ:とりなし きょうの聖書:ローマ9:1-5 ローマ人への手紙9章2節3節4節 私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。私は、自分の兄弟たち、肉による自分の同胞のためなら、私自身がキリストから引き離されて、のろわれた者となってもよいとさえ思っています。彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法の授与も、礼拝も、約束も彼らのものです。 「パウロの悲しみと痛み」 パウロには大きな悲しみを伴う心の痛みがありました。それは自分の同胞であるユダヤ人がキリストに敵対しているということです。パウロの悲しみと痛みは彼らの身代わりになって呪われたものとなってもよいとさえ思うほどでした。今はキリストに敵対しているユダヤ人ですが、そもそも、栄光も、契約も、律法の授与も、礼拝も、約束も彼らのものだからです。 キリストはユダヤ人を救うために天から降った救い主です。ところが肝心のユダヤ人はイエス様をキリストと認めませんでした。ユダヤ人の考えでは大工であるヨセフの子が神であるはずがないのです。彼らの目から見て只の人間であるイエス様が自分は神であるとしたことが絶対に赦せない大罪になっているのです。 今現在も99.95%のユダヤ人がキリストは神を冒涜した者として拒絶しています。この誤解を解決するには祈る以外に手立てがありません。ハマスとの戦いの中に在りますが、ハマスの中からキリストを信じる若者が出てきます。ヒズボラとの戦いの中にもあります。ヒズボラ戦士の中からキリストを信じる者が起こされています。 しかし、ユダヤ人の中ではキリストを信じる人がごく少ないのです。理由の第一はユダヤ人の女性が幼い自分の子どもに、ナザレのイエスは神を冒涜した大罪人であるのであの男の名に騙されてはならないと教え続けているからです。私たちはユダヤ人の救いを祈ります。キリストの十字架はすべての人に適応し、ユダヤ人こそキリストの救いを受けなければならない存在だからです。 祝福を祈ります。