今日の聖句9月22日(日)\(^o^)/ 平和は次のようにして来る。 ミカ5:5 悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。 1ペテロ3:9 ************* 今週のテーマ:とりなし きょうの聖書:創世記18:22-33 創世記18章31節32節 彼は言った。「あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、そこに見つかるのは二十人かもしれません。」すると言われた。「滅ぼしはしない。その二十人のゆえに。」また彼は言った。「わが主よ。どうかお怒りにならないで、もう一度だけ私に言わせてください。もしかすると、そこに見つかるのは十人かもしれません。」すると言われた。「滅ぼしはしない。その十人のゆえに。」 「代わりに祈る」 創世記18章の冒頭にはアブラハムが天使をもてなした記事があります。その天使はアブラハムとサラに来年の今頃には男の子が生まれていると語りました。更に、この天使たちはソドムとゴモラに罪が蔓延しているので全滅させるかどうか現地を視察しに来たと告げました。 それを聞いたアブラハムは、「あなたは本当に、正しい者を悪い者とともに滅ぼし尽くされるのですか。もしかすると、その町の中に正しい者が五十人いるかもしれません。あなたは本当に彼らを滅ぼし尽くされるのですか。その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにならないのですか」と訴えました。 天使は「もしソドムで、わたしが正しい者を五十人、町の中に見つけたら、その人たちのゆえにその町のすべてを赦そう」と答えました。アブラハムは続けて、四十五人ならどうですか、四十ならどうですか、三十人なら、二十人なら、十人ならどうですかと食い下がりました。 そしてついに「滅ぼしはしない。その十人のゆえに」という約束を勝ち取ったのです。とりなしとは祈れない人に代わって祈れない人の救いを祈ることです。アブラハムは罪のために神様に祈れなくなってしまったソドムとゴモラに代わって、神様の赦しと救いを祈ったのです。私たちの周辺にも滅びを目前にして神様に救いを求められない人がいます。その人たちのために祈ることは私たちの責任です。 祝福を祈ります。