今日の聖句8月11日(日)\(^o^)/ わたしがあなたがたを国々の民の中から連れ出し、その散らされている国々からあなたがたを集めるとき、わたしは、あなたがたをなだめのかおりとして喜んで受け入れる。わたしは、諸国の民が見ている前で、あなたがたのうちに、わたしの聖なることを示す。 エゼキエル20:41 信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。 ヘブル 11:8 ************ 今週のテーマ:平和の祝福 きょうの聖書:マタイ5:3-8 マタイの福音書5章3節と8節 心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。 「あなた方は実に幸いだ」 イエス様は幸福になる方法や幸福の定義を教えるのではなく、「おめでとう。あなた方は実に幸いだ!」と語られました。「心が貧しくても、悲しんでいても柔和でも、義に飢え乾いていても、あわれみ深くても、どんな状態でいても皆さんは幸せですね」と事実を指摘しておられます。 「私は不幸だ」と思っている人は結構多いものだと思います。しかし、イエス様は私たちに「私は幸せなんだ」と気づかせてくださいます。すばらしい福音です。ここで言う「幸い」という言葉は「祝福されている」「恵まれている」という意味です。神の祝福を受けている人が幸いであり、神の恵みを受けている人が幸いなのです。 「あなた方は天の国を自分のものにできたのだから幸いです」と幸いである理由もはっきり語ってくださっています。天の国での生活。神様の愛の中で生きられる幸せ。イエス様のすばらしい支援の中で生きられる幸せを大いに楽しみ、喜び、感謝させて頂きます。 「神を見る」ということは、現実には誰も体験したことのない夢のような話です。だからこそ、人間のもっとも大切な願いであり、夢でもあります。これは聖書中の最大の約束であり、究極の目標です。神を見ることができるという、最大の幸福を期待して私たちはキリストが清くあられるように清いクリスチャンになならせて頂きたく思います。 祝福を祈ります。