今日の聖句8月8日(木)\(^o^)/ 監獄の長は、ヨセフの手に委ねたことには何も干渉しなかった。それは、主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。 創世記39:23 御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。 ガラテヤ5:22-23 ************* 今週のテーマ:平和を求めよ きょうの聖書:詩篇85:1-13 詩篇85篇1節〜4節 主よあなたはご自分の地に恵みを施しヤコブを元どおりにされます。あなたは御民の咎を担いすべての罪をおおってくださいます。セラ あなたは激しい怒りをすべて収め燃える御怒りから身を引かれます。帰って来てください。私たちのところに。私たちの救いの神。私たちへの御怒りをやめてください。 「怒りを止める神」 私たちの神様は怒りから身を引き、怒りを止めるお方です。一度激しく怒って民を裁いても再び慈愛と憐れみで民を癒してくださるお方だということです。イスラエルは偶像礼拝という大罪を犯してバビロンに捕囚されましたが、神様は彼らを赦し、バビロンから解放して故国に戻して元通りにくださいました。 神様はイスラエルの罪をご自分の罪として引き受けて彼らに赦しを与えてくださったのです。御子が十字架で死んだということはそれを実証しているのです。バビロン捕囚とエルサレムへの帰還は人類に対する神様の憐れみのみこころを予表する出来事だったのです。 ところで、私たちは平和を求めています。神様と選民との間の平和は神様が怒りから身を引くことによってなされました。これは神様のお姿としてとても大事です。私たちも家族や隣人との間の平和を求める時、自分から進んで怒りを捨てることが必要です。神様は何時までも怒り続けるお方ではありませんから。 相手の落ち度に目くじらを立てて咎め続けていれば最後には破綻しか残りません。全能の神様であっても平和を回復するには赦す以外に手段はなかったのです。「赦し」は永遠の義です。赦すことが最終的な正義なのです。神の国を求めるとは神様の愛による支配を求めることであり、神の義を求めるとは神様の赦しによる世界の救を求めることなのです。 祝福を祈ります。