今日の聖句8月6日(火)\(^o^)/ 床の上であなたを思い起こすとき夜もすがらあなたのことを思い巡らすときに。 詩篇63:6 主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目を覚ましていても眠っていても、主とともに生きるようになるためです。 1テサロニケ5:10 ************* 今週のテーマ:平和を求めよ きょうの聖書:へブル12:14-17 へブル人への手紙12章14節15節 すべての人との平和を追い求め、また、聖さを追い求めなさい。聖さがなければ、だれも主を見ることができません。だれも神の恵みから落ちないように、また、苦い根が生え出て悩ませたり、これによって多くの人が汚されたりしないように、気をつけなさい。 「平和ときよめ」 「平和」は黙って座っていれば手に入るものではありません。神様に祈り求め、自らを謙遜にすることによってでなければ得られません。平和には和平、平安、安らぎ、講和、調和、和やか、円満という意味があります。隣人との平和が大事なのですが、根本は神様との平和です。神様と自分の間に平和がある人が隣人との平和を築けるのです。 神様はみ子のおいのちを犠牲にしてまで人との平和を望んでくださいました。逆に言えば、神様と人との平和は何物にも代えられない御子のいのちに匹敵するということです。平和はすべてのものを生み出す母体そのものです。戦争や喧嘩をしない状態であるばかりでなく、平和は創造の根源なのです。ですから平和な社会に文化が生まれるわけです。 心の平和はきよめに依ります。その大敵は自己中心と利己主義です。聖書は偶像礼拝を禁じていますが、偶像礼拝の実態は自己中心と利己主義です。自己中心と利己主義が人の心を汚します。自己中心と利己主義ほど見苦しいものはありません。そして自己中心と利己主義が神様を否定し、隣人との関係を破壊するのです。 平和は調和です。私たちの人生では神様との調和、隣人との調和、自然との調和と社会との調和が必要で不可欠です。私たちの人格から自己中心と利己主義が取り除かれる時、私たちの心と信仰がきよめられ、私たちの生活に平和が実現します。それを成し遂げてくださったのがイエス様の十字架と復活です。御名を崇めて生きて参りましょう。 祝福を祈ります。