今日の聖句7月31日(水)\(^o^)/ わたしが、あなたがたの悪しき生き方や、腐敗した行いによってでなく、ただわたしの名のためにあなたがたに報いるとき、イスラエルの家よ、あなたがたはわたしが主であることを知る。 エゼキエル20:44 しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。 ローマ5:8 ************* 今週のテーマ:隣人を愛する きょうの聖書:ヤコブ2:8-13 ヤコブの手紙2章8節9節10節 もし本当に、あなたがたが聖書にしたがって、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」という最高の律法を守るなら、あなたがたの行いは立派です。しかし、もし人をえこひいきするなら、あなたがたは罪を犯しており、律法によって違反者として責められます。律法全体を守っても、一つの点で過ちを犯すなら、その人はすべてについて責任を問われるからです。 「依怙贔屓」 ここに「えこひいき」という言葉が出てきます。えこひいきは依怙贔屓と書きます。それは、特定の人だけに利益を与え得る行為です。シンデレラという物語がありますが、シンデレラとは「灰かぶり」という意味のあだ名です。シンデレラは継母やその娘たちから馬鹿にされ、のけ者にされて育ったのです。 継母はシンデレラ以外の自分が生んだ子どもだけを愛して「アッシェンプッテル」という本名を持つ女の子はあだ名だけて呼んでいました。最後にはご存じの通りガラスの靴や王子様との幸福な生活があるのですが、受けた差別は辛く悲しいものでした。この継母に愛がなかったわけではありません。自分の娘は愛していたのです。 愛は公平で平等でなければなりません。また、愛は正義で真実でなければなりません。愛には尊敬があり、無礼があってはならないいのです。1コリント13章の1節〜8節に愛の定義があります。イエス・キリストの生涯は完全な愛の人生でした。時々、自分の愛に偏りがあるかないかを点検する必要もある刈るもしれません。 私たちには一方を重んじ、他方を軽んじるという傾向があるのです。自分に好都合なことを優先し、自分に不都合なことは後回しにするのは普通のことだからです。毎日の仕事の中でも、自分に不都合なことを先に処理し、好都合なことを後回しにすると全ての予定を終えることができます。これは信仰生活全般に言えることです。差別や依怙贔屓の無い生活をして参りましょう。 祝福を祈ります。