今日の聖句7月30日(火)\(^o^)/ わたしが荒野に水を、荒れ地に川を流れさせ、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。 イザヤ43:20 わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。 ヨハネ4:14 ************* 今週のテーマ:隣人を愛する きょうの聖書:ルカ10:25-37 ルカの福音書10章33節34節35節 旅をしていた一人のサマリア人は、その人のところに来ると、見てかわいそうに思った。そして近寄って、傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで包帯をし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行って介抱した。次の日、彼はデナリ二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。「介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。」 「良きサマリヤ人」 これは、愛を実践するとはどういうことかをわかりやすく説明した例話です。ユダヤ人が旅の途中で強盗に襲われ、袋叩きにされ、持物も衣服も奪われて路上に倒れていました。通りかかったユダヤ教の祭司もレビ人も見て見ぬふりをして通り過ぎたのですが、ユダヤ人から蔑視され、敵対されていたサマリア人が身銭を切ってまで怪我人であるユダヤ人を助けたという話です。 ユダヤ教という宗教に熱心であり、祭司という指導者でも、レビ人という神殿奉仕者でも、その信仰に愛が伴わなければ何の役にも立ちません。しかし、ユダヤ教への信仰が無くても路上に倒れた人を自分のお金を費やしてまで助けたサマリア人は愛の実践者として高く評価されるということです。 このサマリア人はけが人に対てして「かわいそうに思った」だけでなく、手持ちのオリーブ油や包帯をつかって傷の手当てをし、自分の家畜に乗せて宿屋まで連れて行き、2デナリというお金を宿屋の主人に宿泊料として支払って、不足があれば追加すると言っています。2デナリは成人男性の二日分の給金に当たります。 多くの人が愛を実践するとは現実には何をどうすることなのかという質問をします。イエス様はその問いに明確な答えを出したのです。気持ちだけでなく、言葉だけでなく、物とお金と奉仕を費やして人助けをすることが愛の実践だということです。イエス様がご自分のいのちを費やして私たちを救ってくださったことを忘れることなく、私たちも人助けによって愛を実践する者でありたいと思います。 祝福を祈ります。