今日の聖句7月23日(火)\(^o^)/ あなたのさとしこそ私の喜び、私の助言者です。 詩篇119:24 わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。 マタイ5:17 ************* 今週のテーマ:共に生きる きょうの聖書:申命記26:12-15 申命記26章12節13節 第三年、十分の一の年にあなたの収穫の十分の一をすべて納め終え、これをレビ人、寄留者、孤児、やもめに与えて、彼らがあなたの町囲みの中で食べて満ち足りたとき、あなたは、あなたの神、主の前で言いなさい。「あなたが私に下された命令のとおり、私は聖なるささげ物すべてを家から取り分け、それをレビ人、寄留者、孤児、やもめに与えました。私はあなたの命令を一つも破らず、またそれらを忘れませんでした。」 「十分の一の献げもの」 聖書は十分の一の献げものを特別に大切なこととして教えています。十分の一の献げものによって、祭司も耕作地を持たされなかったレビ人も、イスラエルに寄留する外国人も、夫を失って子育てをしている人も、孤児もイスラエルに住んでいるすべての人が生活できるためです。 第三年とは、エジプトを出てきた民がカナンに定住して第三年ということです。初年度は種をまくだけでした。第二年は初年度の耕作で収穫した種を再び作付けをして、第三年度から収穫のサイクルが軌道に乗ります。その第三年度に収穫物の十分の一をささげた時のお祈りがこの13節で教えられています。 私たちは共に生きるのですが、収穫を得た人が収穫の十分の一ずつを献げ合うことによってイスラエル社会が成り立ち、礼拝の民としての生活が成り立つのです。イスラエル人の生活はすべて礼拝が軸になっています。礼拝するために耕作し、礼拝するために収穫し、礼拝するために共に生きるのです。 キリスト教会でも十分の一の献げ物は大切なこととして教えられています。その献金によって教会が維持され、伝道活動ができ、弱者への手当てができるのです。献金は祈りであり、献金は礼拝そのものです。私たちに食物を与え、水を与えて生かしてくださる神様への感謝を込めて喜んで献げる人として信仰生活をさせていただきたいと思います。 祝福を祈ります。