今日の聖句7月17日(水)\(^o^)/ わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。 エレミヤ31:33 彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法の授与も、礼拝も、約束も彼らのものです。 ローマ9:4 ************* 今週のテーマ:自然の中で神をたたえる きょうの聖書:詩篇8:1-9 詩篇8篇3節4節5節 あなたの指のわざであるあなたの天あなたが整えられた月や星を見るに。人とは何ものなのでしょう。あなたが心に留められるとは。人の子とはいったい何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは。あなたは人を御使いよりわずかに欠けがあるものとしこれに栄光と誉れの冠をかぶらせてくださいました。 「栄光と誉れの冠」 ダビデは自分が小さい存在であることを知っていました。この詩篇には取るに足りないダビデに神様が目をかけていてくださることに感謝する気持ちが表れています。ダビデは自分に欠けのあることを知り、その上で神様からの冠を与えられていることに感謝しています。 ダビデが神様から与えられた冠とは、神様に祈り、神様のみことばを聞くことができるということです。神の民とされていることを冠を与えられていると言い表しているのです。「祈れる恵み」という言葉がありますが、これは確かに大きな恵みです。これをヨハネは神の子とされる特権と言いました。 自分が大きく見える時と、神様が大きまく見える時があります。自分が小さく見える時と、神様が小さく見える時もあります。一番いいのは自分が小さく見えて、神様が大きく見える時です。神様がお造りになった大自然を見る時、神様が大きく見え、自分が小さいのだということがよくわかります。 謙遜な気持ちになるとき、天地創造の神様が自分を含めるすべての人に救いの御手を伸べてくださることへの感謝がこみ上げてきます。それは罪に汚れた人間社会に御父が御子イエス様を送ってくたさったことであり、御子の命によって全世界のすべての人が贖われたことです。小さく、汚れた私たちですが、キリストの私たちへの愛と憐れみは尽きることがありません。 祝福を祈ります。