今日の聖句6月27日(木)\(^o^)/ せいいっぱい大声で叫べ。角笛のように、声をあげよ。わたしの民に彼らのそむきの罪を告げ、ヤコブの家にその罪を告げよ。 イザヤ58:1 この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」 マタイ4:17 ************** 今週のテーマ:栄光の望み きょうの聖書:1コリント15:50-58 コリント人への手紙第一15章52節53節54節 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた」としるされている、みことばが実現します。 「死に勝つ勝利の望み」 私たちの肉体は有限であり、霊的な世界にあるすべての祝福を受け継ぐことはできません。霊的な世界の祝福、その永遠性を受け継ぐことができるためにこそ、肉体的な死が打ち破られる必要がありました。それをまさにキリストがもたらしてくださったのです。キリストのよみがえりは初穂であり、サンプルであり、見本です。 キリストを信じる時、その復活のいのちが私たちの存在を覆うのです。その復活の力は、今、生きている間でも、希望を与える土台になっているので、大いに私たちの益になるのです。今私たちは信仰によって死の力に打ち勝っています。そして、終末にはよみがえることによって死に対して完全勝利します。 肉体は死んでも、そのまま、霊的な世界に引き継がれていく確証をキリストの復活はもたらしてくれるのです。死と罪の力に縛られていた私たちが神の愛の世界で生きられるようになったということがそのことを物語っています。これによって私たちは人生を前向きに生きられるのです。 血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。終末における私たちのよみがえりの最大の目印はキリストの再臨です。キリストの再臨に的を絞って前向きに生きましょう。 祝福を祈ります。