今日の聖句6月15日(土)\(^o^)/ あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。 ホセア10:12 自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」しかし神は彼に言われた。「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。」 ルカ12:19-20 ************* 今週のテーマ:この世の権威と神の主権 きょうの聖書:ヨブ5:1-18 ヨブ記5章16節17節18節 神は貧しい者を剣から、彼らの口から、強い者の手から救われる。こうして寄るべのない者は望みを持ち、不正はその口をつぐむ。ああ、幸いなことよ。神に責められるその人は。だから全能者の懲らしめをないがしろにしてはならない。神は傷つけるが、それを包み、打ち砕くが、その手でいやしてくださるからだ。 「神様の正義と人の正義」 これはヨブが試練を受けて苦しんでいた時、エリファズという名のヨブの友人がヨブに助言している言葉です。ヨブは自分には罪も咎もないと自認していました。ある日、子ども全員、財産すべてを一瞬にして失い、自分は全身に腫物ができるという試練を受けました。エリファズは神様は真実なお方だから罪のないものには苦難を与えないと確信しています。 エリファズは神様は憐れみ深く、慈愛に満ちたお方だからヨブが悔い改めて神様に対して謙遜になれば、試練から解放されるのだと言って励ましています。エリファズは「神は傷つけるが、それを包み、打ち砕くが、その手でいやしてくださるからだ」と言って、ヨブの痛みは神様が癒してくださると言っています。 しかし、ヨブは自分には罪も咎もないと言い張ってエリファズの助言を受け入れません。問題は神様が言う無罪と人間が言う無罪とは意味が違うというところにあります。普通の人が言う無罪とは、法律に触れないという意味です。警察に捕まることは無いという意味です。しかし、神様が言う無罪とは人が神様の主権に服す姿を言います。 最後にヨブは神様の正義と神様の主権の下に完全に平伏して、悔い改めました。その内容は、神様の正義と自分の正義を比べて同等としていたことを悔い改めたということでした。神様は天と地を創造したお方であり、それに比べればヨブはほとんど何もできない存在てあるということに気づいたということです。悔い改めた後、ヨブは友人たちのために祝福を祈り、試練から完全に脱却できました。 祝福を祈ります。