今日の聖句6月5日(水)\(^o^)/ 私のたましいが私のうちで衰え果てたとき、私は主を思い出しました。私の祈りはあなたに、あなたの聖なる宮に届きました。 ヨナ2:7 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。 ピリピ4:6 ************* 今週のテーマ:キリストの体なる教会 きょうの聖書:ローマ12:3-8 ローマ人への手紙12章5節〜8節 大勢いる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、一人ひとりは互いに器官なのです。私たちは、与えられた恵みにしたがって、異なる賜物を持っているので、それが預言であれば、その信仰に応じて預言し、奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教え、勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれを行いなさい。 「キリストの体と聖霊の賜物」 教会がキリストの体なのですが、教会とはクリスチャンの集団という意味です。教会とは礼拝堂も教会なのですが、実態はクリスチャンの集まりです。その人々がキリストの体として機能するために聖霊が各クリスチャンに賜物を与えて体としての器官の働きをさせるのです。 その賜物は、預言、奉仕、教える、勧める、分け与える、指導する、慈善の七つになります。これらの賜物を一つ受けている人もいますし、二つ、三つ与えられている人もいます。自分に与えられている賜物を働かせることが大事で、他の人の受けている賜物をうらやましがる必要はなく、逆に、自分が授かった賜物で自慢することでもありません。 3節にある「思うべき限度を超えて思い上がってはいけません」とはそういう意味です。体の中に目があり、目は目の働きをします。耳も鼻も口もそれそれぞれの働きをします。手には手の仕事があり、足には足の働きがあります。ある一つの器官が故障したなら他の器官が補わなれればなりません。 そして、教会は一人の人間のように一致と調和をもってキリストの体としての働きをすることができるのです。その働きが愛の実践であり、福音の宣教なのです。みことばを宣べ伝えるという一点に焦点を絞って預言、奉仕、教える、勧める、分け与える、指導する、慈善の七つの賜物が働くときに、教会は教会としての真の姿を現すのです。 祝福を祈ります。